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Visual Philosophy Lesson

河合 政之
東京造形大学 2009年度「映像論」講義 
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レッスン 10 「日本の実験映像(2)- 飯村隆彦 - 構造とコンセプチュアル」
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    11.17-11.24.2009 講義レジュメ
    レッスン 10

    「日本の実験映像(2)- 飯村隆彦 - 構造とコンセプチュアル」



    A - 個人性の映像

    B - 構造からコンセプチュアルへ

    C - ヴィデオにおけるアイデンティティとその記号学

    D - 他者を発見する私



    A - 個人性の映像

     今回私たちは、松本俊夫とならぶ日本の実験映像の、理論と実践両面におけるパイオニアであり、前回あつかった構造映画の運動にも参加するなど世界的な活動を展開する作家、飯村隆彦の作品と思想について考えていきたい。

     飯村は1937年生まれ。1960年ごろから8ミリによる個人映画制作を始め、小野洋子、土方巽、小杉武久、中西夏之らとのコラボレーションや、大林宣彦らとのフィルム・アンデパンダンの結成(1964年)など、1960年代に日本のアンダーグラウンド運動の旗手となる。1966年に渡米、NYにてジョナス・メカス率いるアメリカン・アンダーグラウンドの運動に参加。また夫人の昭子とともにアメリカの前衛芸術シーンを紹介する執筆活動なども多くおこなった。やがて70年代にはイメージを究極にミニマル化して、映像における時間と空間の構造を探る作品へと傾倒。それらはコンセプチュアルな映画として、世界的に見てももっとも先鋭的な試みのひとつと言えるだろう。1970年頃からヴィデオ・アート作品の制作を始め、やがてフィルムからヴィデオ中心に移行する。その作品は特に「ビデオの記号学」と呼ばれるような、ヴィデオ映像特有の構造をミニマルな形式によって追求する特徴を持つ。

     ではさっそく、飯村の映像作品と思想について見ていくことにしよう。まず彼の初期作品や活動にあらわれる、飯村特有の視点について見ていこう。

    参考上映:『くず』飯村隆彦(映画、日本、1962年)




     「・・・東京湾の晴海海岸に打ち棄てられたくずと動物の死体から、主観的なイメージを作り上げたものであった。私は晴海の海岸をさまよいながらカメラでくずを収集し、それらに生命を与えていった。映画はものたちへのオマージュであったが、同時にカメラを持つ私の手や足が画面に入り込んで、あるいは自分の影が投影され、ものと私とのかかわりも介入した」(『パリ=東京映画日記』p.35)

     この処女作にあらわされているのは、ドキュメンタリー的な客観的事物の姿ではなく、あくまで主観的な視点に基づいた、作者自らと事物との関係であると言えよう。飯村にとって映画とは、いわばはじめから、自らの視線をあらわすための手段である。したがってそのノイズも含めて、イメージのすべてが、作家自身のアイデンティティの表明であると言えるだろう。(その作品が50年近くたった今日もなお、いわゆる「映画」を求める観客から、時に猛烈な反発を受けることがあるのは、そのためではないか。つまりそれは徹底して主観的であるために、エンターテインメント的な受け身の映像体験に慣れた観客をいらだたせるのだろう。)

     その意味では、これはブラッケージの姿勢に近いものと言えるかもしれない。だがすでにこの作品にあらわれている飯村特有の「クール」な感覚にも注目したい。主観的な映像でありながら、そのイメージに情緒的・ナルシスティックに溺れきってしまうことなく、そこにはつねにある醒めた、知的な視点が働いているように思われないだろうか。特に飯村が自分の体の一部を写すとき、何か自分とものとの関係をクールに見つめるもうひとつの視点が、そこにあらわれるようだ。

     ところでこの飯村の「個人性の映像」という思想は、やがて日本におけるインディペンデント映画運動の始まりである、フィルム・アンデパンダンの結成へとつながっていくこととなる。だがそのあくまで主体的・個人主義的・知的な姿勢は、やがて飯村にその活動の中心を日本からアメリカ・ヨーロッパへと移していくことを余儀なくさせることになる。(そのあたりもまた、あくまで日本にとどまり、著述や教育を通して国内に大きな影響力を持ち続けた松本俊夫と対照的である。)



    B - 構造からコンセプチュアルへ

     60年代後期、NYへと活動の舞台を移した飯村は、ある種過激な形で作家主義的な映画制作へと向かう。それはイメージを究極まで排することで、映画の構造を概念的に明らかにしようとする、一連の作品群となって結実する。それらはたとえば、白、黒の画面のみ、あるいは数字や線といった、ほとんど視覚的な意味を持たないものだけで構成されている。

    参考上映:飯村隆彦『1秒24コマ』(映画、日本/アメリカ、1975-78年)




     たしかにこの作品には、一般的な映画に見られるような視覚的な「豊かさ」は一切欠けている。だがそれを見ることは、単に哲学の本を映像でなぞるような観念的な経験なのでもない。ここで示されようとしている概念が、ある視覚的な(たとえば白黒の明滅という)感覚として体験された瞬間、突然このミニマルな、一見きわめて貧しい映像は、まったく別の意味でその豊かな相貌をあらわにする。つまりまさに映像そのものによって、あくまで映像的な体験として、ある思想的な概念が具体性を持って体感されるのだ。



    C - ヴィデオにおけるアイデンティティとその記号学

     次に私たちはいよいよ、飯村芸術の究極ともいえる「ビデオの記号学」をかいま見てみることにしよう。飯村は『椅子』『ブリンキング』(1970年)など、日本でもっとも初期にヴィデオ作品を手がけた作家の一人でもある。それらの実験を経て、飯村は1970年代前期から現在にいたるまで、そのライフワークともいえる、ヴィデオにおけるアイデンティティのあり方を概念的に問う作品と思想を追求し続けている。

    参考上映:飯村隆彦『セルフ・アイデンティティ』(ヴィデオ、日本/アメリカ、1972年)



             『ダブル・アイデンティティ』(ヴィデオ、日本/アメリカ、1979年)



            『アイ・ラブ・ユー』(ヴィデオ、日本/アメリカ、1973-1987年)




     「基本的なアイディアは、私がカメラに向かって自分の名前を言い、それが肯定と否定、『私』、『あなた』、『彼』など主語を示す人称の変化によって、どのようにアイデンティティが形成されるかという問題を扱っている。」(飯村隆彦「デリダの理論とメタ・ビデオ」『カタログ』所収)

     これらの作品では、画像と「I」「You」「He/She」などを言う声とが、ときには同期し、ときには同期しない(口が隠れて見えないなど)。そうして、その人称のアイデンティティの場が、ときには画面内の人物となったり、画面の外からの抽象的な声となったり、あるいはそれを見る観客となったりするのである。このようなヴィデオにおけるアイデンティティの複層性と、それらの間の関係は、普段私たちが映像をみるときには意識されていないものである。飯村の作品では、そのようないくつかのアイデンティティの区別と、それらがいとも簡単に移りかわっていくさまが、見事に映像的な形であらわにされる。

     飯村の、ヴィデオにおけるアイデンティティをめぐる探求の中でも、もっとも代表的なものといえるのは『オブザーバー/オブザーブドとビデオ記号学』と名付けられた作品であろう。ここではその詳説は別紙の飯村自身による解説にゆだねることにするが、その一見何事もない映像が引き起こす、めまいを起こすような知的な映像的感覚を「楽しんで」みたい

    参考上映:飯村隆彦『オブザーバー/オブザーブドとビデオ記号学の他の作品』
    (ヴィデオ、日本、1976-1998年)






    D - 他者を発見する私


     「私たちはメディアを通じてまさに条件づけられているのです。声とアイデンティファイされるものとして映像は見られていますが、それはまさに操作されることが可能です。アイデンティフィケーションは、ひとつのレベルにおけるものではないのです」(飯村隆彦インタビュー「フィルムからヴビデオ、そのメタフィジックス」『飯村隆彦映像作品論集』所収、p.75)

     「アメリカが私にとって外国であることが、私のアイデンティティについて考えさせた。私が、日本にずっといたらおそらくこのようなビデオとしてアイデンティティを問題にすることはなかったと思う。日本では、アイデンティティは『与えられた』ものであり、アメリカにおけるように自ら『選んだ』ものではない。その意味で、私は自分のアイデンティティをビデオで選び、創作しなければならなかった」(「デリダの理論とメタ・ビデオ」)

     つまり飯村の探求の背景には、二つの問題提起があると言えよう。ひとつは、メディアの中におけるアイデンティティの問題。もうひとつは、国際的な状況におけるアイデンティティの問題。その二つのアイデンティティに関わる問題提起は、単に「私」という個人性だけを問題にしているのではない。飯村の作品では非常にシンプルな形ながら、つねに「私」と「他者(あなた、彼/彼女)」との関係が問われていることに注目すべきだろう。

     「『私』というのが大きなテーマで、ある種の『私地獄』の中に紛れ込んで、先が見えなくなっているのではないかという疑問もあると思います。・・・ビデオが自分を映すということで、非常にナルシズムであるという批判があり、それは現在もあると思います。私の場合もテーマとすればそういうものも含んではいますが、私自身はナルシズムではなく、むしろそこから開いていく、他人を発見していく場所として『私』を使っているわけです」(シンポジウム「見ること/聞くこと/話すこと」『カタログ』所収)

     そしてこのような飯村の先駆的な問いは、単にメディアへの哲学的な関心だけではなく、彼自身の世界的な活動において、「私への問い」と「他者の発見」を繰り返してきた、その具体的・実践的な経験の反映でもあるに違いない。それは、今まさに情報メディア社会や資本主義がもたらした「グローバリゼーション」の状況の中に生きる私たちに、「私」とは何か、「他者」とは何かを考えるための、導きの糸を与えてくれるのではないだろうか。

     飯村は数多くの映像作家の中でも、映像=イメージ的な物語や審美主義、視覚効果に一切たよることなく、あくまでクールに、「映像による思想」をもっとも突きつめた映像作家と言えるかもしれない。その過激なまでの映像の素っ気なさと知的な姿勢は、いわゆるエンターテインメント的なわかりやすさに満ちた映像を受動的に見ることに慣れた私たちを、面食らわせるかもしれない。

     だがじっくりとその映像と接するならば、私たちに開かれている「フリ」をするエンターテインメントと違って、飯村の作品は私たちという観客の「他者性」をあくまで尊重し、むしろ直接的に私たちに向けて開かれた問いかけであることに気付かされるのではないだろうか。飯村の作品は、その映像による思考のプロセスに、私たち自身が主体的に参加するときにはじめて、その比類なき「深さ」をあらわにするのだ。そしてそれはきわめて新鮮な、そして真摯な映像の経験となるだろう。



    参考文献:
    飯村隆彦『芸術と非芸術の間』(三一書房、1970年)
    飯村隆彦『パリ=東京映画日記』(書肆風の薔薇、1985年)
    『映像実験のために』(青土社、1986年)
    『飯村隆彦FILM AND VIDEO』(京都文化博物館、1990年)
    『飯村隆彦個展「見ること/聞くこと/話すこと」カタログ』神戸アートビレッジセンター、2003年)
    『飯村隆彦映像作品論集』(飯村隆彦映像研究所、2005年)
    京都造形芸術大学編『映像表現の創造特性と可能性』(角川書店、2000年)

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