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Visual Philosophy Lesson

河合 政之
東京造形大学 2009年度「映像論」講義 
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レッスン 9 「抽象映画と構造映画」
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    10.27-11.03.2009 講義レジュメ
    レッスン 9

    「抽象映画と構造映画」



    A - 抽象から構造へ

    B - 抽象映画

    C - 構造映画



    A - 抽象から構造へ


     前二回私たちは、無意識から溢れ出るイメージの奔流を表現しようとするような、二つの実験映像の試みを見た。そしてブラッケージについては、そこに個人の内面に根ざした「自由」への志向を見ようとしたし、また松本俊夫については、そこに状況と内面の相互作用による、「主体的な現実」の表現を見ようとした。

     だがその最後に、私たちは次のような問いをおいた。「私たちをめぐる政治やメディアなどの状況は、もはや現実性がなく、まるですべてが平板に映像・情報化してしまった」、そしてまた、「内面の隠れた無意識や情念などというものは、メディアや情報によって飼い馴らされたものになってしまった」のではないだろうか、と。

     今回私たちは、実験映像のまた別のアプローチをめぐって考えることで、異なる視点から「映像によって考える」ことを続けていきたい。それは1920年代に西ヨーロッパを中心にあらわれた「抽象映画」と、1950-60年代にアメリカと一部のヨーロッパにあらわれた「構造映画」である。これら二つの潮流は、30-40年の間をおきながら、モダニズムの時代が成熟する中で、批判的に継承されていく流れと考えることができる。そしてその二つの連続と対比に眼を注ぐことは、上の問いに対して、私たちがどのように思考を続けていけば良いのか、その視野を少し開いてくれることになるだろう。



    B - 抽象映画

     1920年代、抽象化を志向する映画作品の試みが、ヨーロッパを中心に同時多発的に発生する。それらは「純粋映画」や「絶対映画」などとも呼ばれた。その背景には、キュビズム、ダダ、デ・ステイル、ロシアやドイツの構成主義など、同時代の美術における抽象化の運動がまずあった。実際、それらの映画の主な作り手は、専門の映画作家ではなく、美術家であった。

     ここでは特に、ダダとの関連から生まれた抽象映画をまず見ていくことにしたい。


       参考上映:『リズム21』ハンス・リヒター(映画、ドイツ、1921年)



          『バレエ・メカニック』フェルナン・レジェ(映画、フランス、1923年)



         『エマク・バキア』マン・レイ(映画、フランス、1926年)




     「私の映画はいつも視覚による思想伝達に重点を置いており、マス・メディアあるいは娯楽としての映画を考えたことは一度もなかった」(リヒター『ダダ』、p.376)

     抽象映画の運動の中でも、ダダに端を発したものは、その抽象化の動機として、すでに緩んだ意味の中で形骸化してしまった、外面的・日常的なイメージへの強烈な否定があったと言うべきだろう。その意味で、それはその後内面的な「もうひとつの現実」を探していくことになるシュルレアリスムへの前哨であったと言えよう。だがシュルレアリスムの構築的な意志に対して、ここにはむしろ破壊的・解体的な衝動が働いていることが、まず注目される。

     だがそれは単なる破壊・解体ではなく、その先に新しい映像の世界を見出すものでもあった。このような試みは、映像を抽象的で単純な視覚的要素に純化することで、言語的・物語的な意味を離れた、より視覚的に訴える「強さ」を得ようとしたものと言うことができるだろう。(そのための助けとして、特にしばしば「対位法」や「リズム」といった音楽的な概念・アプローチが転用された。それは音楽が、言語的・物語的な意味からもっとも離れた、感覚的な純粋性を持つメディアであるからだろう。)

     さらにそれは、従来の物語的・幻想的な映像ではなく、感覚的であると同時に知的でもある、新しい映像体験を生み出すことになった。すなわち抽象映画では、メディアそれ自体、その素材やシステムが意識されながら見られるような映像体験が(当時はまだはっきりと意図されることなく)あらわれたのである。つまりいわば、「映像を見るということを見る」という芸術である。そのような特徴は、その後映像の構造へと意図的にアプローチする方法論として、構造映画を生むルーツとなったと言うことができるだろう。

     「マン・レイの『エマク・バキア』は、演劇の記録ではなくて、フィルムによるフィルムの記録とでも言うべき、メディアの発見であった。彼がカメラを使わずにフィルム上の物体に直接光を当てる方法は、フィルムという素材自身をひとつの創造的な媒体として成立させた。・・・それはマン・レイの次のような発言にも読みとることができる。『この映画は純粋に光学的なものであり、眼にのみ働きかけるものであった。それは見方と同様に考え方の結果でもあった』」(飯村隆彦「TV によるアイデンティティ」(1969)『芸術と非芸術の間』所収、p.119)



    C - 構造映画

     1950年代から60年代を中心に、主にアメリカン・アンダーグラウンド映画やヨーロッパのアヴァンギャルド映画の中で、抽象映画を批判的に継承したとも言える、ひとつの新しい形式があらわれる。それは「構造映画」と呼ばれるものである。構造映画は、それ以前の実験的な映像において主流であった、シュルレアリスムやイマジズム的な、心象・無意識的なイメージの表現というアプローチに対する、一種の反発と見ることもできるだろう。構造映画はむしろイメージ内容への偏重を排して、イメージの成立する外部的な構造そのものへの、分析的で知的なアプローチを特徴とする。


     参考上映:『アルヌルフ・ライナー』ペーター・クーベルカ(映画、オーストリア、1958-60)



          『スリープ』アンディ・ウォーホル(映画、アメリカ、1963)



          『波長』マイケル・スノウ(映画、カナダ、1967)




     構造映画を名付けた、アメリカの映画理論家ポール・アダムス・シトニーによれば、その定義は次のようになる。

     「構造映画は一貫してその形式を追求し、内容は最小限にとどまり、その外観は二次的なものとなっている。・・・構造映画の特徴を四つ挙げると、(1)固定されたカメラ位置、(2)光の明滅効果、(3)ループ状プリント(ショットの瞬間的反復と無変化)、(4)スクリーンの再撮影がある」(アダムス・シトニー「構造映画」『アメリカの実験映画』所収、p.188-189)

     その特徴は、西村智弘による簡潔な要約によれば、次のようになる。

     「構造映画は、フィルムという具体的な素材、カメラや映写のメカニズム、映画を見るという行為など、映画の基本的なシステムを作品として提示しようとした。構造映画には、映画によって映画の構造を検証するという自己参照的な性格がある」(西村智弘「映像のテクスチュア」『映像表現の創造特性と可能性』所収、p.129)

     さらに、構造映画の運動に自ら深く関わった飯村隆彦は次のように言う。

     「(構造映画、すなわち)知覚的な映画は、視覚重視の映画に対するひとつのリアクションであると同時に、それに対する批評を含む新たな展開である。それは、単に視覚から知覚へという感覚作用における移動ではなく、視覚の拒否による―しかも視覚手段によって―知覚の獲得である。・・・知覚的映画は、現在の映画実験のなかでももっともラディカルなものであり、とくにメディアに対する自覚においてそうである」(飯村隆彦「知覚における実験」(1968)前掲書、p.153)

     つまり構造映画が志向するのは、映像の(主に物語的な)視覚・イメージに耽溺することを否定して、知覚のレベルで、メディアへの意識を、映像的な体験の中に得ようとすることだと言えるだろう。したがってそれは、メディアそのものを問うという意味で「コンセプチュアル」な志向を強く持っていた。構造映画はひとつのモダニズムの成熟のあらわれとして、その作風はミニマリズム的に、一見きわめて反娯楽的な、ストイックな形であらわれることが多い。したがってそれは、もっぱら映画における運動ではあるが、フルクサスや初期のヴィデオ・アートといった、現代美術の潮流とも近接している。

     ところで、このような見かけの「そっけなさ」、一見まるで観客に忍耐を強いるかのような娯楽性のなさのために、構造映画は映像芸術の中でも、もっとも「難しい」部類の映像作品と思われるかもしれない。だがそれは、いわゆる高度にスノッブで難解な芸術、もしくは単に自閉的でほとんどの人にとっては楽しむことのできない無価値な映像なのだろうか?

     先の講義で挙げた問い、すなわち内面も外面もメディア化・情報化されてしまい、リアリティを失った私たちの状況を顧みてみよう。つまり、私たちは視覚・イメージにあふれた世界に生き、娯楽的な、また情報的な映像を日常的に摂取すればするほど、この閉塞した状況のなかにいっそう閉じ込められていっているのではないだろうか。それは日々、イメージを見れば見るほど、イメージを作ったり、流したり、消費したりすればするほど、「見ること」の意味を見失ってしまうような事態とも言えるだろう。

     そのようなとき、構造映画はいささか無骨に、イメージの安易な消費を否定することで、「見ること」そのものの体験へと、観客を立ち返らせてくれるのではないだろうか。それは観客を映像のもっとも基本的・原初的な体験へと向き合わせ、映像の前にしばし立ち止まらせようとする。そして映像や情報に流されるめまぐるしい日常の中では持つことができない、見ることと考えることを連動させる経験を、もう一度よみがえらせてくれる。そのとき、私たちはこの「映像による思考」によって、メディア・映像に覆われ閉塞した状況を、反省的・批判的に眺め、相対化するきっかけを掴むことができるかもしれない。

     つまり構造映画を作ること、そしてそれを見ることは、映像によって映像的な世界について考える行為なのである。そして大事な点は、それが単に知識や言語的な認識によって考えるということではないということである。このような思考は、あくまで映像的な感覚として体験されるのだ。つまり感覚がまた思考でもあり、感性的であり同時に知的でもあるような映像体験。

     それはたしかに私たちが慣れている、「感じないこと、考えないこと」の娯楽を与えてはくれないだろう。だがその代わりに、偏見を捨てて、少し気長に、真摯に、構造映画と向き合うならば、それはより深く見ることへと私たちを導いてくれるだろう。それはこのメディア・映像に盲目的に流されるのではなく、ごく小さな気付きから、眼を据えてその本質を問う勇気を与えてくれる。しかもそれは、高度で専門的な教養を必要とするようなものではなく、映像的な芸術体験として、誰に対しても開かれているのだ。そしてこのような構造映画のもたらす新鮮な体験は、誰でも「楽しむ」ことができるものなのではないだろうか。



    参考文献:
    ポール・アダムス・シトニー『アメリカの実験映画』(石崎浩一郎訳、フィルムアート社、1972年)
    ハンス・リヒター『ダダ』(針生一郎訳、美術出版社、1966年)
    飯村隆彦『芸術と非芸術の間』(三一書房、1970年)
    京都造形芸術大学編『映像表現の創造特性と可能性』(角川書店、2000年)
    伴野孝司・望月信夫『世界アニメーション映画史』(ぱるぷ、1986年)
    シェルドン・レナン『アンダーグラウンド映画』(波多野哲郎訳、三一書房、1969年)
    "Visionary Film" by Paul Adams Sitney, Oxford University Press, 1974
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