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Visual Philosophy Lesson

河合 政之
東京造形大学 2009年度「映像論」講義 
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レッスン 7 「50-60年代アメリカのアンダーグランド映画」
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    09.08-15.2009 講義レジュメ
    レッスン 7

    「50-60年代アメリカのアンダーグランド映画」



    A - その背景と新しい状況

    B - スタン・ブラッケージ『ドッグ・スター・マン』

    C - 個人と自由の表現



    A - その背景と新しい状況

     前回は、ヴィデオ・アートの誕生について、特にそれを代表するアーティストであるナム=ジュン・パイクをめぐって考えた。そこでは、電子的な映像であるヴィデオの持つ特性が、光学的な映像である映画との対比によって、考察された。そしてヴィデオによるアートの固有性が、パイクという天才の手を通して、まだはっきりと気付かれていないながらも直感的に形にされていることを見た。こうして、ヴィデオ・アートはその誕生のときから、すでにその後の発展の方向の見通しを与えられていたことが見られたと言えるだろう。

     今回は、ヴィデオ・アートがまさに生まれ出ようとしていた同じ時代に、欧米、特にアメリカにおける映画の領域で起こりつつあった、映像芸術の新しい運動に光を当ててみよう。それは、1950年代から60年代にかけて盛んとなる、アンダーグラウンドな実験映画のムーヴメントである。

     そのころ映画は、リュミエールによる誕生からおよそ60-70年、エイゼンシュテインやシュルレアリスムから30年以上経っていた。アメリカでは、第二次世界大戦とその勝利、そしてその後の資本主義の繁栄と、政治の保守・右傾化という状況があった。そして映画の環境は、商業的な娯楽として、ハリウッドの大資本にほとんど独占・吸収されてしまっていた。だがヨーロッパ、特にイタリアやフランス、そして日本などで、単なる商業的娯楽にとどまらない新しい映画が生まれていた。またごく細い流れではあったものの、シュルレアリスムの伝統を受け継いだ、実験的な映画作品も作られ続けていた。

     そんな中で、16mm や 8mm といったフォーマットのフィルムによって、個人による安価で簡易な映画の制作が可能になりつつあった。こうして映画資本によらずに、自分たちの手で自分たちの表現として映画を創作する動きが、次第に大きな動きとなって現れてきた。それはアメリカとヨーロッパ、日本などで、ほぼ同時多発的に発生し、やがてはたがいに交流をおこない、影響し合いながら発展していくことになった。今回は、特にそのアメリカにおける側面を見ていくことにしたい。

     アメリカでそのような動きは、「ニュー・アメリカン・シネマ」「アンダーグランド・シネマ」「インディペンデント・フィルム」などと呼ばれた。それは以前のさまざまな映画の表現・活動・経済などにおける「常識」をくつがえしていくことになる。中でもその運動の革新的な中心となるのは、「アヴァンギャルド映画」や「実験映画」と呼ばれる作品や活動を展開していった芸術家たちである。彼らは単に新しい方法による安価な「劇映画」を作ることには飽き足らず、より積極的に、過激に、映画のスタイルを変革していった。もはや文法も、物語も、主人公も必要なかった。彼らは既成の考え方ややり方にとらわれることなく、それぞれ独自の映画制作の方法を実験的に編み出していくことに没頭した。

     そしてそれは映画の作り方だけにはとどまらず、発表の仕方や、社会との関わり方なども新しく作り出していった。一つの画面による一般的な「上映」だけにはとどまらず、「拡張映画」と呼ばれる、複数のスクリーンによるマルチ上映や、音楽演奏やパフォーマンスとの融合イベントなど、まったく新しい発表のスタイルも生み出された。そしてまた、独立した芸術家の自主運営による配給や上映、展示、批評、保存などのシステムも作り上げられるに至った。

     このような運動の中で、もっとも重要な名前をいくつか挙げておこう。ニューヨークを中心とする東海岸の作家では、まずその作家としての活動にとどまらず、批評家やオーガナイザーとしてつねに状況をリードしてきた、アンダーグラウンド・シネマのゴッド・ファーザーと呼ばれる、リトアニア出身のジョナス・メカス(1922-)。それから、スタン・ブラッケージ(1933-2003)、ケン・ジェイコブス(1933-)、ジャック・スミス(1932-1989)、ポール・シャリッツ(1943-1993)、スタン・ヴァンダービーク(1927-1984)。またアンディ・ウォーホル(1928-1987)やスイス出身の写真家ロバート・フランク(1924-)も、そのムーヴメントに参加していた。そしてサンフランシスコを中心とする西海岸では、ケネス・アンガー(1927-)、ブルース・コナー(1933-2008)、ブルース・ベイリー(1931-)といった作家たちである。



    B - スタン・ブラッケージ『ドッグ・スター・マン』

     私たちは、ここでその運動の歴史的なプロセスを詳しく見ることはできない。だが、私たちに大きな勇気とインスピレーションを与えてくれるその活動の内容については、それぞれさまざまな参考文献をあたってみて欲しい。ここでは、その「映像によって感じ、考える」という visual philosophy 的な観点から、このムーヴメントを代表する一つの作品をとり挙げることにしよう。それは、スタン・ブラッケージの『ドッグ・スター・マン』である。

    参考上映:『ドッグ・スター・マン』スタン・ブラッケージ(映画、アメリカ、1961-1964年)



     さて、この作品を見た後で、それを「一般的」に解説することに、果たして何か意味があるだろうか? とにかく、ブラッケージ自身の声に耳を傾けてみよう。

     「ドラマという映画のいわゆる基本を切り捨てたとたんに、私は映画芸術家になったと言える。私の作品の素材である歴史、生活、その他のあらゆるものは、外から入ってきたのではなくて、私の内部から生まれて来るものだと、そのとき感じ始めたのだ。そういった内部から生まれて来るものの内容を、私はしっかり把握していたし、より個人的に自己中心的になるにつれて、より深遠なものに手が届き、すべての人間を包括する普遍的なものをつかむことができるようになった」(「愛とイメージの創造?スタン・ブラッケージ(インタヴュー)」、ポール・アダムス・シトニー編『アメリカの実験映画』p.85)

     「私は内的ヴィジョンに向かう旅の道具となり、私のすべての感性を通して、そのヴィジョンの外形を掴むのだ。この中で私がもっとも力を入れていることは、私のすべての感性を鋭敏なものとすることだ。その結果、映画がみな生の全領域から湧き上がってくるようになれば良い。そして、どんな瞬間にも必要上からのみ活動することだ。・・・こうして、まったく完成された表現形式を観客に提供するのである」(「リスポンド・ダンス」、同上書 p.97)

     つまりまず気をつけて欲しいのは、それは単にいわゆる「自己流」にやってみただけの「実験」なのではない、ということだ。それは「しっかりと把握」された、個人の内部からの「必要」から生まれる、「完成された表現」なのである。



    C - 個人の表現と自由

     つまりこの作品は明らかに、真摯な意味で「個人」の感性と意志と労働による、「個人」の表現であると言えるだろう。そしてそれを受取る観客の私たちもまた、それに対してそれぞれ個人としての感性と思考を働かせて真摯に向き合うことを求められているのではないだろうか。

     人間の「自由」というものが、外部の環境によって強制・抑圧されることなく、自らの内面的な必然性にしたがって生き、それを完全に表現するということだとするなら、このブラッケージの姿勢は、真摯な芸術家としての「自由」を代弁していると言えるだろう。少なくとも作家自身が、その自由を表明している以上は、その作品の相対的な評価とは関係なく、私たちはそこに映像という芸術活動における、「究極の自由」を目指す一つのあり方を見ることができると言えるのではないだろうか。いかなる呪縛からも解放された、純粋に自らの意志による、完全な自由としての映像。それは、社会のさまざまな価値観による相対的な評価を離れて、芸術という「絶対的に自由」なものを求める志向である。

     ひるがえって、そのようなブラッケージの映像に向かい合うとき、そこでは観客である私たち一人一人の、見る姿勢が厳しく問われているとも言える。その作品を「深く」見ることで、ブラッケージが確信する、その「すべての人間を包括する普遍的なもの」へと近づこうとするか、どうか。それは私たちに向けて「賭けられて」いるのである。そこには「他者」である観客へ向かって自分の信じるものを投げかけ、そこに起きるかもしれない共感に賭けるという、ほとんど愛や信仰に近いものが働いているようにも思われる。

     それに応えるべきか、それとも目をそらしてしまえば良いのか。ここで目をそらすことも、もちろんそれは私たちの「自由」だ、と言うかもしれない。「絶対的な自由」を求める芸術からの呼びかけを、拒絶するという「自由」。だがそのような「見ない自由」、「感じない自由」、「考えない自由」、それは本当に自由なのだろうか? それを「自由」という言葉で呼んだとしても、それはブラッケージの自由に対して、果たして本当の自由と言えるだろうか?

     最後に、ジョナス・メカスを中心として起草された、『ニュー・アメリカン・シネマのための第一宣言』(1961)の一部を挙げておこう。

     「芸術と人生の嘘っぱちにはもう飽き飽きした。他の諸国の若い仲間たちと同じように、新しい映画を創造するばかりではなく、われわれは新しい人間を目指すのだ。芸術作品と同じくらい、われわれは新しい人生の創造に賭ける。ピカピカできれいに磨き上げられているが中身の方は嘘っぱちだらけといったニセモノの映画はもうまっぴらだ。たとえ荒削りでもいい。素顔の生きた映画の方がはるかにマシだ。観客にバラ色の夢を与える映画でなくてもいい。われわれの欲しいのは血の色をした映画なのだ」(同上書 p.281)



    参考文献:
    ポール・アダムス・シトニー『アメリカの実験映画』(石崎浩一郎訳、フィルムアート社、1972年)
    シェルドン・レナン『アンダーグラウンド映画』(波多野哲郎訳、三一書房、1969年) 
    ジョナス・メカス『メカスの映画日記』(飯村昭子訳、フィルムアート社、1974年)
    飯村隆彦『芸術と非芸術の間』(三一書房、1970年)
    松本俊夫『表現の世界』(三一書房、1967年)
    松本俊夫『幻視の美学』(フィルムアート社、1976年)
    "A History of Video Art" by C. Meigh-Andrews, Berg, 2006
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