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Visual Philosophy Lesson

河合 政之
東京造形大学 2009年度「映像論」講義 
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レッスン 6 「ナム=ジュン・パイク―ヴィデオ・アートの誕生」
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    07.14.2009 講義レジュメ
    レッスン 6

    「ナム=ジュン・パイク―ヴィデオ・アートの誕生」



    A - ヴィデオ・アートの父

    B - ドイツ―NY、二つの先駆的業績

    C - 偶然性、表現効果、情報操作と抵抗、日常性

    D - 個の視線、アクチュアリティの芸術

    E - 現代への問いかけとしてのパイク



    A - ヴィデオ・アートの父


     前二回、私たちは映画が、単なる新しいメディアの技術として誕生した後に、芸術として成熟する瞬間にあらわれた二つの動き、モンタージュとシュルレアリスムについて見た。今回は映画からさらに後、その次の映像メディアとしての電子映像が、芸術として生まれ変わる瞬間について見てみることにしよう。つまり、ヴィデオ・アートの誕生である。

     ヴィデオ・アートの誕生は、つねに一人の偉大なアーティストの名前と結びつけて語られる。韓国人アーティスト、ナム=ジュン・パイクである。その50年にわたるアーティスト人生の中での、活動スタイルや思想の変遷、そして「神話的」な名声の確立などは、つねに議論の的となり、多くの毀誉褒貶にさらされてきた。1950年代ドイツにて、ジョン・ケージの強い影響を受けた前衛音楽家としてのスタート、アヴァンギャルドな反芸術運動「フルクサス」への参加、60年代のヴィデオ・アートの発明、そして70-80年代にはヴィデオ・アートを確立するためのさまざまな活動展開、特に「ヴィデオ・シンセサイザー」や衛星放送、晩年にはレーザー・ビームなどを用いた作品など、技術と芸術のコラボレーションの先駆的な仕事の数々。かつては「もっとも悪名高いピアニスト」の称号を持っていたパイクは、80年代中期以降にはアメリカの国家=資本主義的なメディア・ユートピア政策の賛美者となってしまったかにも思われる。このようにパイクは、破壊的な反逆者、先駆的な創造者、そして制度の代弁者と、さまざまな顔を持つ。

     だがいずれにせよパイクという天才が、20世紀を代表する芸術家の一人であることは間違いがないだろう。そして彼が数々の作品や言葉によって示してみせた「ヴィデオの芸術」というコンセプトのは、いまだに大きな問いとなって私たちの前に立ちはだかっている。パイク亡き後も、メディアと映像は私たちの把握を超えて膨張し、一方でヴィデオ・アートとは何なのか、どこへ向かうのか、私たちはいまだ知らない。ヴィデオ・アートは、インターネットとデジタル映像の時代にも、古くなったどころか、いまだほとんど出現してもいないように思われる。ヴィデオは芸術として、どのように現れなければならないのか。その問いはますます重要さを増しつつあり、これから私たちが、考え抜いていかなければならないものに思われる。そのようなときにこそ、混沌からヴィデオ・アートを生み出したパイクの声を、真摯に聞きとらなければならないのかもしれない。

    ナム=ジュン・パイク





    B - ドイツ―NY、二つの先駆的業績

     1963年3月、ドイツ・ヴッパータールのパルナス画廊で開催されたパイクの個展「音楽―電子テレビジョンの展覧会」で、磁石で変調された13台のモニターが展示された。モニターはすべて同じチャンネルのTV放送にチューニングされており、それらはパイクが中古のモニターを改造して作ったものだった。ケージの「プリペアド・ピアノ」にならって「プリペアド TV」と名付けられたその作品が、世界で初めてのヴィデオ・アートとされている。

     1965年10月、ソニーが世界初の携帯用ヴィデオ・カメラ「ポータパック CV-2000」を発売した。パイクは NY で早速それを購入、その日に偶然居合わせたローマ法王パウロ6世の NY 訪問を撮影、その夜にダウンタウンのカフェ・ア・ゴー・ゴーでの「エレクトロニック・ビデオ・レコーダー」にて、同イベントを報道する番組と並べて上映をおこなったとされている。

     この二つの事実が、何よりもパイクに「ヴィデオ・アートの創始者」としての名声を与える要因となっている。その真偽にはいくらか怪しいところもあると言われているが、単に新しい技術を他人に先んじて試みたことがパイクの業績なのではない。パイクによるこの二つの作品・活動は、パイクがその初めから、ヴィデオの大きな可能性の本質を、鋭敏にとらえていたことをしめしているのではないだろうか。次にそれを考えてみよう。

    参考上映:パイク初期のヴィデオ・アート作品

    マグネット TV(1965)



    グローバル・グルーヴ(1973)





    C - 偶然性、表現効果、情報操作と抵抗、日常性

     まず、「プリペアド TV」について、四つの視点からとらえてみよう。

     第一に、モニターにはその時に受信された TV 番組が流されていた、ということ。つまりそれは作家によってコントロールされない、さまざまな要因へと開放された、偶然性による作品である。したがって、それはギャラリーに「彫刻」として展示されてはいても、作品として定着不可能な、流動的なものである。それはパイクが明確にケージの「偶然性の音楽」から受け継いだ方法だ。そしてそれは、ヴィデオ・アートが時間の芸術として音楽を引き継いでおり、固定化された「美術作品」の枠を壊すものであることを示していたと言えるだろう。

     第二に、映像が電子的に変調された効果のヴァリエーションが展示された、ということ。つまりそれは映像に、電子的な操作によってさまざまな表現的な効果が与えられることを示した。このヴィデオの表現的な側面は、その後「パイク=アベ・ヴィデオ・シンセサイザー」などで追求されていく。パイクが追求したこの電子的な映像効果は、現代のコンピュータを用いたエフェクトへと発展していく動きの源流である。パイクはそのような電子映像の発展の方向を、すでに最初の展示で明確に示していたのではないだろうか。

     第三に、TVというマス・メディアを流用して、そこに変調をほどこしていた、ということ。つまりそれはマスメディアによる一方的な情報の押し付けに対して、受け手側が独自の解釈によってその情報に抵抗する可能性を象徴的に示したと言うことができるだろう。また同時にそれは、メディア上の映像がつねに、第三者の介入や干渉によって歪曲されているということを、パロディとして示したと見ることもできるだろう。つまりそこには、ヴィデオが政治的な情報操作とそれに対する抵抗という、対立関係を持つということがあらわされているのである。

     第四に、それはモニターという映像の「物体性」を白日のもとにさらした、ということ。つまりそこでは電子の映像が、映画の映像とは異なり、日常的な空間の中に存在する物体としての側面を持つことを見せている。ヴィデオはこのように日常的な物として、私たちの生活の現場の中に入り込んでくるものなのである。そして同時にそれは高度な技術の結晶として、触れがたいブラックボックスでもあるのだ。



    D - 個の視線、アクチュアリティの芸術

     次に、「ローマ法王パウロ6世のNY訪問」について。

     第一に、機材調達、撮影から上映まで、すべてを個人の手によっておこなったものであったということ。それはマスメディアによって資本主義的・組織的・制度的に企画され、コントロールされた映像に対抗して、個人やマイノリティの視線によるオルタナティヴな映像の可能性を示すものであった。

     第二に、当日買った機材で撮影され、そのまま上映されたという即時性。つまりそれはヴィデオの簡便性を生かしたものであり、個人のヴィデオによる情報の伝達が、時にはマスメディアと同じか、もっとも迅速におこなわれ得ることを示している。こうしたヴィデオの持つ特性は、絵画的な芸術や念入りに企画されたマスメディアや映画と違って、観客にダイレクトに訴えるライヴ的なものであり、リアルな時事性とも深く関わるのである。したがってヴィデオの魅力は、権威的な従来の「美」ではなく、もっと政治的なアクチュアリティに根ざした、新しい芸術のスタイルを可能性として開くのである。



    E - 現代への問いかけとしてのパイク

     今日、私たちは45年前のパイクの時代から比べると、はるかに発展した映像とメディアの環境に生きているように思われる。携帯電話でヴィデオが撮影でき、見ることもでき、パソコンでは簡単にCGや映像効果を作り出すことができる。そしてインターネットでは YouTube などによって、手軽に映像を大量の人々に向けて発信することが可能だ。私たちの日々の映像体験は、パイクの提示した映像やその環境についてのイメージを、はるかに超えてしまっているようにも思われる。

     だが、はたしてそうだろうか?パイクの仕事は、ただ昔日のパイオニアとしてだけ意味があるのに過ぎないのだろうか?その仕事は今見ると、古びた技術と表現の残骸でしかないと言えるのか?

     もしパイクを、単に技術的・表現的な面からだけとらえるならば、そのように見えるかもしれない。だがそのような見方では、まったくパイクの本質が見えてはいないだろう。なぜならパイクの持つ「問い」へのまなざしが欠けているからである。実際、パイクは映像の表面的な効果の面白さには、ほとんど興味を持っていなかったようにさえ見えるのだ。(それでも、その軽妙なセンスは抜群であるが。)

     パイクによって示された「ヴィデオ・アート」とは、何だったのか。「問い」へのまなざしを持って見るならば、パイクがおこなおうとしてきたことが見えてくる。私たちはこの社会において、メディアや映像に取り囲まれ、それによって無意識に支配されている。そのように私たちを支配する道具と化しているメディアや映像を、「問い」の方法として取り返す試みが、パイクがおこなってきたことなのではないか。つまりメディアや映像という、制度や資本による支配の道具を、逆に自由のために奪い取ること。

     そしてまたパイクが、その問いの鋭さを失ったとき、制度はこの反逆者を取り込み、彼の名声は皮肉にも確立された。もしかしたらそれもさらに大きな制度を逆に利用するための、彼の作戦だったのだろうか?この偉大な先達がこの世を去った今、それはわからない。そこに新しい抵抗と創造を見るか、それともあきらめと順応を見るか?いずれにせよ、パイクという存在は、これからもずっと私たちの前に大きな問いとなって現れてくるだろう。

     「コラージュ技法が油彩に取って代わったように、ブラウン管がキャンヴァスに取って代わるだろう。今日アーティストが筆や、ヴァイオリンや、ガラクタで作品を作るように、いつの日かコンデンサーや、抵抗器や、半導体で作品を作るようになるだろう。」("A History of Video Art")

     「TV は私たちの生活すべてを攻撃してきた。これからは反撃だ。」("Video Art, A Guided Tour")



    参考文献:
    『情報社会を読むクリティカル・ワーズ』(田畑暁生編、フィルムアート社、2004年)
    『ナム=ジュン・パイク、タイム・コラージュ』(イッシ・プレス、1984年) 
    『ナム=ジュン・パイク展 ヴィデオ・アートを中心に』(東京都美術館カタログ、1984年)
    "The Worlds of Nam June Paik" by J. G. Hanhardt, Guggenheim Museum, 2000
    "A History of Video Art" by C. Meigh-Andrews, Berg, 2006
    "Illuminating Video, An Essential Guide to Video Art", by D. Hall & S. J. Fifer, Apperture/Bavc, 1990
    "Video Art, A Guided Tour" by Catherine Elwes, I. B. Tauris, 2005
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